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BSフジ 3374

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:42:50.65 ID:a6fdI9Dy.net
BSフジ 3373
http://baseball.2ch.net/test/read.cgi/livebs2/1449571573/

109 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:49:40.41 ID:9lXhHd9y.net
 これにひきくらべ、われわれのキリスト教の賤民どもが動物を遇する、あの悪逆無道ぶりを見るがい
い。彼らはまったくなんの目的もないのに、笑いながら、動物を殺したり、かたわにしたり、いじめた
りする。そして自分たちを養ってくれた稼ぎ手の馬でさえ、老齢に至っても酷使し、その鞭の下にくた
ばるまで、哀れにも骨の髄までもしゃぶるのだ。じっさい、人間は地上の悪魔で、動物たちは苦しめられ
る魂だ、と言いたいくらいだ。これこそエデンの園におけるあの任命の場面の結果なのだ。賤民どもを
おさえるには、暴力か宗教しかないのに、キリスト教は不名誉にもこの場合、われわれを見殺しにする
のだ。確かな筋から聞いた話だが、ある新教の牧師が動物保護協会から動物虐待に反対する説教をして
くれと頼まれたとき、宗教上なんの手がかりもあたえられていないので、どうしてもできないと答えた
という。この牧師は正直者だったのだ。彼の言うとおりなのだ。たいへん称讃に値するミュンヘン動物
愛護協会が一八五二年一一月二七日付で出した告示は、すばらしいねらいで聖書から「動物愛護を説
いている規定」を集めようと骨折っている。

110 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:49:52.27 ID:9lXhHd9y.net
そのあげている個所はソロモンの箴言一二の一〇、ジーラハ七の二四、詩編一四七の九、一〇四の一四、
ヨブ記三九の四一、マタイ一〇の二九であるが、これはだれもその個所をあけて見ないだろうということ
を当てにした一種の「敬虔な嘘」にすぎないのだ。ただ非常に有名な最初の個所だけは、弱いながらも、
この問題に触れたことを述べている。それ以外の個所は動物について語ってはいるけれど、動物愛護の
ことは言っていないのだ。ではその最初の個所は何と言っているか? 「正しい人はその家畜を憐れむ」
――「憐れむ!」とは、なんという言葉か! わるいことをした罪人や犯人ならば憐れむこともあろうが、
なんの罪もない忠実な動物、ときにはその主人に飯を食わせてやりながら、わずかな餌しかあたえられぬ
動物に対して「憐れむ」というのは当たらない。「憐れむ!」憐れみではなくて、公平こそ、われわれが
動物にあたえてやらねばならぬものだ、――しかしこの公平こそ、ヨーロッパ、すなわちユダヤ的悪臭に
みちみちているため、「動物は本質において人間と同じものだ」という明白・単純な真理が、一種不快な
逆説となっているこの大陸にあっては、実現されぬままにとどまっているのである。――

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:50:05.68 ID:ZKixh7Jl.net
>>101
なら、もう、平文でいじゃん

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:50:07.57 ID:Cso+ele6.net
ねもとくぅーん

113 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:50:08.59 ID:9lXhHd9y.net
 動物の保護は、したがってそれを目的とする協会や警察の仕事になるわけだが、両者とも賤民ども
のあの一般的な無道な仕打ちに対しては、ほとんどお手あげのかっこうだ。なにぶんにも訴えることの
できない動物相手のことであり、百の残虐行為で見つかるのは一つあるかないかであり、とりわけその
刑罰が軽きにすぎるからである。最近イギリスでは苔刑が提案されたが、わたしには至当のことと思わ
れる。しかし、人間と動物が本質的には同一であるという熟知の事実さえ承認せず、誠実で理性的な仲
間の者が、人間を動物の当該部門に編入したり、あるいは人間がチンパンジーやオーラン・ウータンに
酷似していることを証明したりすると、それこそ躍起になって反駁したりするほど、はなはだ頑迷・愚
昧な学者どもや動物学者までいるありさまでは、何を賤民どもから期待できよう。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:50:10.41 ID:ngIIs10X.net
>>79
浜矩子先生が「来年末の平均株価は1万円割れ」と言ってるから、それまで待とうよ(´・ω・`)

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:50:16.39 ID:PzVqQsu7.net
>>71 部品は韓国から持ち込まれていて、空港の検査に掛からんかったんやろ?
怪我人や死者が出てたらどないするん?ましてや七五三シーズンで子供が犠牲になってたら?

116 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:50:21.49 ID:9lXhHd9y.net
しかしほんとうに腹が立つことは、きわめてキリスト教的な考えをもった敬虔なユング=シュティリングが、
その著『幽界の光景』第二巻・第一景一五頁で、次のような比喩をあげていることだ。「突如として骸骨は
収縮して、 言いあらわしようのないほど不気味な小さな侏儒となった。それはちょうど、大きな女郎蜘蛛を
沸騰点 にあるビーカーに入れて、膿のような血が灼熱のなかでぐつぐつと煮えたぎったときのようであった。」
つまりこの神のしもべは、こういう恥さらしの行為を自分でやったか、あるいは平静な観察者として傍
観したのだ。――この場合、どちらでも同じことだ。――じっさい、彼はそういうことを悪いともなん
とも思っていないから、話のついでに淡々として語っているのだ! これは創世記第一章、一般にユダ
ヤ的自然観の影響である。これに反して、インド教徒や仏教徒にあっては、偉大な言葉「それはおまえ
なのだ」(Tat-twam asi)が重んじられる。これは動物と人間んお内的本性が同一であることを銘記する
ために、われわれの行動の基準として、どういう動物に向かってもたえず口にする必要のある言葉なの
だ。――まことにいたれりつくせりの道徳ではないか!――

 わたしがゲッティンゲン大学で勉強していたとき、ブルーメンバッハは生理学の講義で、生体解剖の
おそろしい面について切々とわれわれに語った。それがいかにも残忍でおそろしいことであること、し
たがってめったに用うべきではないこと、ごく重要で、直接役立つ研究にだけこの措置に踏みきるべきで
あること、それを行なう場合には、科学の祭壇にささげられた残忍な犠牲が最大の利益をもたらすよ
う、大講堂で最大限に公開し、あらゆる医学者を招待したうえで行わなければならない、と説明して
くれたのである。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:50:22.35 ID:uwksNllR.net
元お天気お姉さんの、根本さん
地上波で見なくなったなあ・・・

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:50:26.64 ID:XnR5yg2F.net
レギュラー90円
高速料金無料で景気回復

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:50:28.77 ID:a6fdI9Dy.net
>>98
そうでしたっけウフフは維新にいる

120 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:50:35.03 ID:9lXhHd9y.net
――ところが今日では、どんな藪医者でもいろいろな問題を決定するために、その拷問室で残忍きわまる
動物虐待をやる権能があると思っている。じつはその問題の解決はとっくに書物に載っているのであって、
ただ彼らがあまり怠惰・無知であるために、その書物をのぞかないだけのことなのだ。昔の医者は古典的
教養によって、ある種の人間性と気品をそなえていたが、いまの医者はもはや古典の素養をもっていない
のだ。いまはできるだけ早く大学に行って、そこでせめて膏薬塗りだけでも覚え、それで世間的成功を
得ようというわけだ。

 生体解剖ではフランスの生物学者が先例を示したように思われる。そしてドイツ人はフランス人と張
り合って、しばしば大量に、罪のない動物に残虐きわまる拷問を加えるのであるが。その目的とすると
ころは純理論的な、往々愚にもつかない問題を決定するためにすぎない。わたしはここにとくに憤慨に
たえない二つの実例をあげたいと思うのであるが、それはけっして散発的なものでなく、似たような例
は百をもって数えることができる。マールブルクのルートヴィヒ・フィック教授はその著『骨の形の原
因について』のなかで、幼い動物の眼球を摘出したことを報告している。それは何のためかといえば、
そのあとの間隙に骨が成長していくという彼の仮設を確証するためなのだ!(一八五七年十月二十四日
付「中央新聞」を見よ。)

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:50:48.28 ID:bAU5IcKx.net
>>111
津軽弁バリバリの平文なんてどうだろう?

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:50:52.94 ID:Cso+ele6.net
ま〜た元重か見る価値なし

123 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:50:57.57 ID:9lXhHd9y.net
 ニュルンベルクのエルンスト・フォン・ビブラ男爵が行なった非道の仕打ちは、特記するに値する。
彼がその著『人間ならびに脊椎動物の頭脳にかんする比較研究』(マンハイム、一八五四年、一三一頁
以下で、いかにもしたり顔に、不可解なほど素朴に、読者に語っているところによると、二匹の兎を
計画的に餓死させたというのだ! しかもそれは餓死によって脳髄の化学的成分に比例的変化が起こる
かどうかという、まったくのんびりした無益な研究のためなのだ! 学問のために――とおっしゃるの
でしょ? いったい解剖刀や坩堝のこの先生がたは、自分がまず人間であること、科学者であることは
二の次だということを、夢にもお考えにならないのか?

――母親の乳を飲んで育っている無邪気な動物を南京錠やかんぬきをかけて閉じこめ、拷問にも似てじわり
と餓死させながら、どうして高枕で眠れるのか? 眠っていてもびくりととび起きはしないのか? こうい
うことがバイエルンでは起こるとは? バイエルンでは王子アダルベルトの保護のもとに、尊敬すべき功績
顕著な宮中顧問官ペルナー氏が、粗暴・残忍から動物を守るために全ドイツに範をたれているではないか。
ニュルンブルクには、大いに成果をあげているミュンヘン動物愛護協会のごときものがないのか? ビブラ
の残虐行為は、たとえ阻止されえなかったとしても、罰せられずにすんだのであろうか?――このフォン・
ビブラ氏のように、まだまだ多くのことを本から学びとらねばならぬような人は、自分の知識を豊富にしよ
うとして、つまりはおそらくはとうの昔に知れわたっているような自然の秘密をしぼりだすために、残忍な
方法で究極の答えをしぼりだそうと考えたり、生き物を拷問にかけようと考えたりしてはいけないのだ。と
いうのは、この種の知識のためならば、哀れなよるべない動物を拷問で殺す必要はさらさらなく、まだ他に
罪のない宝庫がいくらもあるからである。いったいなんのために哀れにも無邪気な兎を捕えて、徐々に餓死
する苦しみをなめさせるような罪なことをするのか? 研究されるべき関係について書物に記載されている
ようなことを、完全にすべて熟知していないような者は、生体解剖をする資格はないのである。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:01.43 ID:ZKixh7Jl.net
>>114
毎年本出してるんだよね 勝ってないけど

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:03.05 ID:ofQgLEAz.net
柴山要らんかった
代わり映えしないが保阪とかでよかった

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:03.66 ID:fgXLvdV9.net
現在日本は諜報やら暗号とかサッパリな国になってしまったな

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:08.72 ID:jeKmGPkb.net
>>88
普段からあらゆる分野で余裕かましてるので、相手に殴られてからでないとMaxにならないという面はあると思う

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:09.86 ID:MNeaLayH.net
>>108
軽減税率で福祉の予算が減るんですが・・・
生活だって金持ちのほうが得する税制ですし・・・

129 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:51:13.25 ID:9lXhHd9y.net
 すくなくとも動物にかんするかぎり、たしかにいまこそユダヤ的自然観に終止符をうつべき時であ
り、われわれのなかに生きているのと変わりなく、あらゆる動物のなかにも生きている永遠の本質を正
しく認識し、保護し、尊重すべき時である。わたしはそれを本気で言っているのであり、たとえ全ヨー
ロッパがユダヤ人の教会堂で蔽われようとも、一歩もゆずる気のないことを銘記しておいてもらいたい!

動物は本質的に、また主要な点で、われわれ人間とまったく同一なものであり、その差はたんに
偶有的属性、すなわち知性にあるだけで、意志という実体にあるのではない。こういうことがわからぬ
のは、あらゆる感官がめくらであるか、ユダヤ的悪臭のクロロホルムで完全に麻酔にかかっているに相
違ないのだ。世界はわれわれが使うためにこしらえたものではなく、動物はわれわれが使うための製品で
はない。こういう見解はユダヤ人の教会堂や哲学の講堂にまかせておけばよい。この二つは、べつに本
質的に大差はないのである。これに反し上述の認識は、動物を正しく取り扱うための規則をわれわれに
手渡してくれる。狂信的にいきまく連中や坊主どもに対して、この問題ではあまり反対しないようにわ
たしは勧告する。というのは、この場合、真理だけではなく、道徳までもわれわれの味方についている
からである。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:13.50 ID:2qpVCgve.net
>>117
一緒に朝の番組やっていてたみのもんたは…

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:14.02 ID:a6fdI9Dy.net
いいご意見だ

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:23.76 ID:558UXdA2.net
思います

133 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:51:24.83 ID:9lXhHd9y.net
 鉄道がもたらした最大の恩恵は、そのおかげで何百万の輓き馬が苦役を免れたことだ。――
 イギリスには菜食主義者というのがいるけれども、北方に押しよせて行って、そのために白色になっ
た人間が動物の肉を必要とするということは、残念ながら真実である。しかしその場合でも、クロロホ
ルムを用いたり、致命的な急所をすばやく一撃を加えたりすることで、動物たちがその死を感じないよ
うにしてやるべきだ。しかもそれは旧約聖書が言いあらわしているような「憐れみ」からではなくて、
われわれのなかに生きているのと変わりなく、あらゆる動物のなかにも生きている永遠の本質に対する
どうしようもない責任からである。屠殺されるあらゆる動物にはあらかじめ麻酔をかける必要があろ
う。これこそ人間の名誉をそこなわない高貴なやり方と言えるだろう。西洋の高度な科学と東洋の高度
の道徳が、このやり方ならば手に手を携えて行けるであろう。バラモン教や仏教はその掟を「隣人」に
限定することなく、「生きとし生けるもの」をその保護のもとに包容する域に達しているからである。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:28.95 ID:jsqsXJvr.net
それ

135 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:51:40.22 ID:9lXhHd9y.net
 ユダヤ的悪臭のためにその頭が朦朧となっていない人、倒錯した考え方をもっていない人ならば、だ
れにでもおのずからわかる真理、端的に確実な真理が、あらゆるユダヤ的神話や坊主どもの威嚇をしり
めにして、いいかげんヨーロッパでも認められるべきであり、これ以上握りつぶされるようなことがあっ
てはならない。それは動物が、主要な点で、本質的に、われわれとまったく同一なものであり、その差
はたんに知性の度合い、すなわち頭脳の活動にあるだけだということだ。もちろん知性の程度は、動物
の種の異なるに応じて非常なひらきがあるけれども、この真理を認めることによって、もっと人間らし
い取り扱いを動物たちにあたえることができよう。というのは、あの単純であらゆる疑問をこえた真理
が民衆にしみわたったときになってはじめて、動物たちはもはや権利をもたないものとして放置された
り、粗暴な悪童どもの意地悪い気まぐれや残忍性の犠牲になったりすることもなくなるからである。
――そして今日行なわれているように、あらゆる藪医者どもが、自分の無知からくる冒険的気まぐれ
を、無数の動物の身の毛のよだつ苦痛によって実験するような勝手なまねもできなくなるだろう。もち
ろん今日では動物もたいがいの場合クロロホルムで麻酔がかけられることを頭におく必要はある。おか
げで手術中も苦痛をまぬかれるし、手術後は急速に死をあたえて彼らを救うこともできるのである。し
かし今日しばしば行なわれている、神経系統の活動とその感受の度合いをしらべる目的の手術では、麻
酔という手段はとうぜん使うことはできない。つまりまさに観察しようとする活動が停止するからであ
る。そして残念なことには、生体解剖に最も頻繁に用いられるのは、あらゆる動物のなかで道徳的に最
も高尚な動物、すなわち犬である。しかも犬はその神経系統が非常に発達しているため、苦痛の感受度
は他の動物よりも高いのである。良心のやましさを感じるような動物の扱い方は、ヨーロッパでもこの
あたりでやめなければならない。――

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:41.24 ID:Gd3Cccab.net
全国規模の日比谷焼き討ち事件が起こってたかもな

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:42.44 ID:uwksNllR.net
>>114
経済予測なんて、絶対に当たらないし
他人と同じことやってたら、儲けることはできない
だから、オレは今買う

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:43.32 ID:bAU5IcKx.net
この女性政治学者はまだ首がすわってないのか?
いっつも頭が傾いてるぞ。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:45.24 ID:srbf3hBP.net
ふぁあああああああああ?

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:46.52 ID:Cso+ele6.net
そうそうあの戦争なくして今の日本の立場はない

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:46.53 ID:4OClUH+p.net
なるほど

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:51.68 ID:ICrMu3BS.net
三浦さんはオラの味方だべさw

143 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:51:52.00 ID:9lXhHd9y.net
 犬について: 犬を鎖につなぐことの残虐さについて。人間のこの唯一真実な仲間、最も忠実な友、Fr.キュ
ヴィエのことばで言えば、かつて人間が獲得したなかでもいちばんだいじなこの腹心、しかも最高にものわ
かりがよく感受性も鋭敏なこの生き物を、まるで犯罪者のように鎖につなぐとは! つながれた犬は朝から
晩まで、自由と運動にあこがれるばかり。その切なる願いもかなえられることなく、その一生は緩慢な拷問
と化すのだ! こうした残虐さのために、はては犬も犬の本性を失って、かわいげのない、野性むきだし
の、忠実さの欠いた畜生となり、また人間という悪魔にいつもおののいて、びくびくはいつくばる姿に変
わってしまうのである! このようなみじめな姿がもしわたしのせいであり、あけくれその歎きを見ていな
ければならないとしたら、むしろわたしは犬など飼うのをやめて、泥棒にあったほうがましだと思う。(あ
る貴族と彼の鎖につないだ犬については、第一五三節参照。)籠の鳥も恥ずかしいおろかな残虐行為だ。こ
んなものは禁止されるべきで、この場合も警察が人間性の代役をなすべきだろう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 動物界についてのユダヤ的見解は、道徳にそむいているから、ヨーロッパから一掃される必要があ
る。本質的に、また主要な点で、動物がまったくわれわれと同じものである、ということ以上に明白な
ことがあろうか。そういうことを見誤るようでは、五官のすべてがめくら同然であるにちがいないか、
あるいはむしろ見ようという気がないにきまっているのだ。それというのは、だれでも真理よりは飲み
しろのほうがありがたいからだ。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:54.71 ID:D8qfsH8q.net
アマだけに甘いわw

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:51:57.50 ID:i9/IxWt2.net
植民地にしない理由あるかな

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:03.49 ID:wlqMc5YP.net
まあ秦さんがまさしくジャストな人だろうけど
中国との戦争を無視して考えても無意味だと思う

三浦も所詮は河合子ちゃんか

147 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:52:03.82 ID:9lXhHd9y.net
  第一七八節 有神論について

 多神論が自然の個々の部分と力を人格化したものであるように、一神論は全自然を――打って一丸と
して人格化したものである。――

 ある個人的存在者のまえに立ったわたしが、そのかたに向かって次のように言う。「わが創造主よ!
わたしはかつては無でありました。しかしあなたがわたしを生みなしてくださったおかげで、わたしは
いま何ものかであり、しかもわたしというものなのです。」――さらにつけ加えて、「この恩恵に対しわ
たしはあなたに感謝いたします。」――そして最後に、「わたしがなんの役にも立たなかったとしたら、
それはわたしの罪です」とさえ言う。ところでそういう場面を思い描こうと試みた場合に、わたしは、
自分が哲学を研究したりインドのことを勉強したために、わたしの頭がそういう考えを受けつけられな
くなっていることを告白せざるをえない。わたしがこういうことを考えたのは、じつはカントが『純粋
理性批判』(「宇宙論的証明が不可能であることについて」の節)で次のように述べているからで、いわ
ばその対幅にすぎないのだ。「われわれは次のような場面を考えないではおれないが、しかしそういう
考えに耐えることはできない。すなわち、ありとあらゆる存在者のなかで、われわれが最高の存在とし
て思い描くかたが、いわばひとりごとをなさるのだ。《わたしは永遠から永遠にわたって存在する。わ
たしのほかには、わたしの意志によっていささかのものであるもの以外には、なにものも存在しない。
ところでこのわたしはいったいどこからきたのであろうか?》と。」――

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:05.73 ID:7BkXNDXd.net
おう!いいメールや!!!
ここの寝ぼけた論客にパンチ入れたれ!

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:06.06 ID:VpqNj1Zi.net
>>114
毎年、世界経済の崩壊を呪文のように唱えてる方ですね

150 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:52:14.28 ID:9lXhHd9y.net
 ついでながら言っておくが、この最後の問いも、いま引用した節全体と同様、カント以後の哲学教授
連が、絶対者、つまり平たくいえば原因をもたぬものを、しょっちゅう彼らの哲学的思索の主題にする
ことを押しとどめはしなかった。これこそまさに彼らにうってつけの思想なのだ。一般にこの教授連は
救いがたい人種だ。彼らの書物や講演のために貴重な時を失わぬよう、わたしは切にすすめてやまない。

 木や石や金属から偶像をつくろうと、抽象的概念からそれをつくろうと、結局は同じだ。人格的存在
者をまえにして、それに犠牲をささげたり呼びかけたり、感謝したりすれば、とたんにそれは偶像崇拝
になる。自分の羊を犠牲にささげるか、それとも自分の気持ちをささげるかは、根本においてそれほど
違ったことではない。どんな儀式あるいは祈祷も、文句なく偶像崇拝の根拠である。だからあらゆる宗
教の神秘的宗派は、その最奥義を究めた人に対しては、いっさいの儀式を抜きにする点で、一致するの
である。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:24.48 ID:mDIVmfWK.net
赤化言論テロリストなら
今でも国内にウヨウヨと(´・ω・`)

152 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:52:29.12 ID:9lXhHd9y.net
  第一七九節 旧約聖書と新約聖書

 ユダヤ教の根本性格は現物主義と楽天論だ。この二つは血筋の近いもので、本来の有神論の条件であ
る。というのは、有神論は物質界を絶対に現実と見て、人生をわれわれのためにつくられた、快適な一
種の贈り物とみているからである。これと反対に、バラモン教や仏教の根本性格は、精神主義と厭世観
だ。というのは、バラモン教や仏教は、世界を一種の夢のようなものと見ており、人生をわれわれの罪
の結果と見ているからである。周知のようにユダヤ教の源流であるゼンド・アヴェスタ教では、厭世的
要素を代表するものにアフリマンがある。しかしユダヤ教では、このアフリマンがサタンになって、従
属的地位を占めるにすぎなくなる。といってもサタンが蛇やさそりや毒虫の元祖であることは、アフリ
マンと同様である。ユダヤ教はサタンの化身である蛇を人間の堕落に登場させる。つまり楽天観という
ユダヤ教の根本的誤謬を修正するために、サタンを利用するのだ。ところでアダムとイヴの堕落は、明
白な真理には絶対必要な厭世的要素をユダヤ教にもちこんだもので、この宗教では最も正しい根本思想
である。ただし罪に堕ちるということは人間生存の根拠であり、生存に先行するものとして叙述される
はずのものであるが、アダムとイヴの堕落はこれを生存の経過へ移しかえているのである。

 エホバがオルムズドであるという適切な確証を提供しているのは、七十人訳エズラ書・第一巻、すな
わちο ιερευς Α(六の二四)だが、ルター訳では省かれている。「王キュロスはイェルサレムに主の家を
建造せしめた。そこでは不断の火によって主に犠牲がささげられていた。」――またアカベア第二書・第一
章および第二章、さらに第三章、最八節も、ユダヤ人の宗教がペルシア人の宗教であったことを証明
している。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:32.24 ID:OfZtO1I8.net
植民地にしないわけがない

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:33.06 ID:RxuucXvg.net
>>33
HOI系はルールが難回でT周間で売りました
艦これPSVITA版来年2月18日抜錨(発売)が待ちどうしいです
またPSVITA版が延期になるのは嫌です
個人的には給糧艦間宮さんの( ゚∀゚)o彡おっぱい!おっぱい!が好きです(´・ω・`)

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:34.92 ID:4GjTcKZG.net
まさに日本語的な意味での「サボタージュ」がベターだったな

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:37.10 ID:jeKmGPkb.net
内戦やったらその後の国内統一できなくなるだろうよ
外敵とやった方がまだ良い > 三浦

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:38.09 ID:ZKixh7Jl.net
ぶらかしか

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:41.21 ID:2qpVCgve.net
秦さんも悪よのうw

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:42.02 ID:a6fdI9Dy.net
石油禁輸されても?

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:42.57 ID:srbf3hBP.net
台湾 半島は切り取りされるだろ

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:43.10 ID:t1+GuYrV.net
巻いて巻いてー

162 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:52:43.27 ID:9lXhHd9y.net
 というのは、バビロンの捕囚に連れ去られたユダヤ人たちは、ネヘミヤの導きのもとに、あ
らかじめ聖火を乾いた天水槽のなかに隠しておいたため、水につかることになったが、そちに奇蹟に
よってふたたび火があおりたてられたので、ペルシア王に大なる感化をあたえた、と語られているから
である。ユダヤ人と同様、ペルシア人もまた偶像崇拝をきらい、したがって神々を像の姿であらわすこ
とはなかったのである。(シュピーゲルもまた、ゼンド宗教について、それがユダヤ教徒親近性をもっ
ていることを説いているが、しかし彼はゼンド宗教がユダヤ教に由来すると主張している。)――

 エホバがオルムズドの一変形であるように、アフリマンの変形がサタン、すなわちオルムズドの敵対
者なのだ。(ルターは七十人訳で、「サタン」となっているところを「敵対者」と訳している。たとえ
ば列王紀略上・第一一章、第二三節。)エホバ崇拝はヨシュア王の治下にヒルキアの援助によって生じ
たらしい。すなわちゾロアスター教徒によって受けいれられエズラによりバビロン追放から帰還した
さいに完成したと思われる。というのは、ヨシュアやヒルキアまでは、あきらかに自然宗教・星辰崇
拝・ベル崇拝・アスタルテ崇拝などがユダヤ王国で行われていたからであり、ソロモン王治下でも同
様である。(ヨシュアおよびヒルキアについての列王紀略を見よ。)

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:52:48.53 ID:Cso+ele6.net
はいッ終わり終わり!!

164 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:52:59.89 ID:9lXhHd9y.net
 列王紀略: キュロスやダリウスが(エズラ以降)ユダヤ人に好意を示し、その神殿を再建させているが、
これはおそらく、それまでバアル、アスタルテ、モロッホなどを崇拝していたユダヤ人たちが、バビロンに
おいて、ペルシア人が勝利をしめしたときから、ゾロアスター教を受けいれ、エホバという名のもとでオルム
ズドに仕えるようになったせいではあるまいか。そうでなければ、あの好意は不可解である。キュロスがイ
スラエルの神に祈りをささげた(七十人訳聖書のエズラ書・第一巻二の三)ということも、このことと符合
する(そう考えなければ筋が通らないだろう)。旧約聖書のあらゆる先行諸書はのちに、すなわちバビロン捕
囚以後に作成されたが、あるいはすくなくともエホバの教えはのちに挿入されたかしたのだ。とにかくわれ
われはエズラ書・第一巻・第八章および第九章によって、ユダヤ教の最も恥ずべき面を知る。この選ばれた
民はここでその祖先アブラハムの不快・無道な手本にならって行動している。すなわちアブラハムがハガー
ルをイスマエルとともに放逐したように、バビロン捕囚のあいだにユダヤ人と結婚した婦人たちは、ただ人
種的にMauschelでないという理由から、その子供とともに追放されたのだ。この民族のより大規模な非行
を曲飾するために、あのアブラハムの非行があみだされたものでないとしたら、これ以上卑劣なことはほと
んど考えられない。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:04.90 ID:Cso+ele6.net
早く終われよこいつにしゃべらせるな!

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:09.99 ID:5lXz4bRM.net
アカヒのバカ老害はもう出るなw

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:11.07 ID:ofQgLEAz.net
柴山最後までポンコツっぷり

168 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:53:13.85 ID:9lXhHd9y.net
 ユダヤ教の起源がゼンド宗教にあることを確証するものとして、ここについでながらあげておきたい
ことは、旧約聖書やその他のユダヤの典拠によれば、天使が雄牛の頭をもったものになっており、エホ
バがそれに乗って歩くということだ。(詩篇九十九の一.七十人訳聖書列王記略・第二書六の二、および二
二の一一。第四書十九の一五には「ケルビムの上に座したまう汝〔エホバ〕」とある。)エゼキエル書・
第一章および第一〇章の記述などに見られるように、半ば雄牛で半ば人間、また半ば獅子といったこう
した動物は、ペルセポリスにあるいろいろな彫刻、ことにモズルやニルムードで発見されたアッシリア
の彫像のなかに見られる。それどころかヴィーンにある彫像を施した石には、オルムズドがこのような
雄牛のケルビムに乗った姿が描かれている。このことの詳細はヴィーン文学年間一八三三年九月「ペル
シア旅行記」にある。なおユダヤ教のゼンド宗教起源についての詳しい説明は、J・G・ローデがその
著『ゼンド民族の聖なる伝説』で提供してくれる。これらすべてはエホバの系譜に光をあたえるものだ。

 これに反して新約聖書はとにかくインド的な由来のものであるにちがいない。道徳を禁欲に移すまっ
たくインド的なその倫理、その厭世観およびその降化がこれを証拠立てている。しかし、まさにそのた
めに新約聖書は旧約聖書と決定的に内面的に矛盾することになり、けっきょくアダムとイヴの堕罪の物
語だけが、両者のつなぎになったのである。というのは、あのインドの教えが約束の国にはいってきた
とき、この世が堕落していて悲惨であり、したがってそれを救う必要があるという認識、降化をはじめ
として、自己否定と懺悔の道徳によって救われるという認識を――ユダヤ的一神教ならびにその楽天的
な「すべてはたいへん良かった」に結びつける課題が発生したのだ。そして、それは事情のゆるすかぎ
り、つまりこれほどまったく異質的な、否、対立的でさえある二つの教えを結びつけうるかぎりにおい
て、成功したのであった。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:18.97 ID:LNXTqGgc.net
ウヨ撃沈

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:22.73 ID:CyGDreXx.net
歴史は修正し続けていくもんだよ
ただ一つの真実なんてないのだから

171 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:53:28.11 ID:9lXhHd9y.net
 支柱や手がかりのいる常春藤のつるが、荒削りな棒杭にからみついて、どんなところでもその不格好
な形に順応し、その形を再現しながらも、自分の生命と優雅でそれに覆い、こうして棒杭ではなしに、
こころよい眺めをわれわれに見せてくれるのと同様に、インドの知恵に発したキリスト教の教えが、これ
とまったく異質的な荒けずりなユダヤ教の古い幹を覆ってしまったのだ。そしてもとの形のうちで保存
されなければならなかったものは、キリストの教えによってまったく別のものに、いきいきとした真実
なものに変えられたのである。それは同じもののように見えながら、ほんとうは別なものなのだ。

 つまりこの世と切り離されていた無からの創造者は救世主と同一視され、またそれをつうじて救世主
を代表者とする人類とも同一視されたのだ。なぜなら、人類はアダムにおいて堕落し、それ以後、罪・
堕落・苦悩・死のきずなに巻きこまれていたけれども、救世主において救われることになるからだ。仏
教におけると同様に、ここでもこの世は罪や堕落、苦悩や死としてその姿を示すからである。――「す
べてをたいへん良い」と見たユダヤ的楽天観の光は消えて、いまや悪魔そのものが「この世の君」(ヨ
ハネによる福音書一二の三一)、文字どおりに世界支配者とよばれるのだ。この世はもはや目的ではな
く、手段となる。つまり永遠のよろこびの国は、この世の彼岸、死のかなたにあるのだ。この世におけ
る諦念とあらゆる希望をよりよき世界へ向けることが、キリスト教の精神である。しかしこのような世
界への道をひらくのは、贖罪、すなわちこの世とその道からの解放である。道徳においては、報復権の
かわりに、敵を愛せよという掟があらわれる。無数の子孫を約束することに取ってかわって、永生の約
束があらわれる。犯罪に対する神罰が四代の子孫にまで及ぶということにかわって、すべてを庇護する
聖霊が立ちあらわれるのである。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:28.46 ID:Cso+ele6.net
何言ってんだこいつ

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:29.17 ID:YflUe0qA.net
最悪の選択だとは思わないなぁ。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:30.26 ID:2qpVCgve.net
四つの選択肢をすべて言いかねない柴山

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:35.85 ID:wlqMc5YP.net
>>159
まあ中国と戦争してるからだよね

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:36.53 ID:uwksNllR.net
三浦さんに、耳元で
「ねえ?ここ、すごくおっきくなってる」って囁かれて
秋元さんに、耳元で
「ずっと、したかったの?」って囁かれたい

177 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:53:38.75 ID:9lXhHd9y.net
 こうしてわわわれは新約聖書の教えによって、旧約聖書の教えが修正され、転釈を受けていることを
見いだす。このことによって旧約の教えは内面的・本質的にインドの古い宗教と一致するようになった
のだ。キリスト教のもっている真実な点は、すべてバラモン教や仏教にも見いだされる。しかし、無か
ら生命をあたえられ、しばしの時をおくるこの神のこしらえものである人間が、歎きと不安と困窮にみ
ちたこのはかない生存をあたえられたことに対して、いくらへりくだって感謝してもじゅぶんではな
く、そのためにエホバをどのように讃えても讃えきれるものではないというユダヤ的な考え方は、ヒン
ドゥー教や仏教にこれを求めてもむだであろう。なぜなら、新約聖書には、インド的知恵の精神が、は
るかな熱帯の原野からいくたの山河を越えて吹いてくる花の香りのように感知されるけれども、旧約聖
書では、インド的知恵に適合するものは人類堕落論以外にはなにものもないからだ。この堕落論は楽天観的
な有神論を修正するものとして、旧約聖書につけ加えられる必要があったのであり、じじつまた新約聖
書はこれを唯一の手がかりとして、堕落論に結びついたのである。

 さてある種を徹底的に知るには、その類を知る必要があり、またその類そのものはふたたびその種
的様相においてのみ認識されるものだ。それと同様に、キリスト教を徹底的に理解しようとすれば、世
界否定的な二つの他の宗教、すなわちバラモン教と仏教を知る必要がある。しかも確実に、できるだけ
精密に知る必要があるのだ。というのは、サンスクリットがギリシア語とラテン語を真に徹底的に理解
する道をわれわれにひらいてくれるのと同様に、バラモン教と仏教こそ、キリスト教を真に理解する道
であるからだ。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:43.62 ID:OfZtO1I8.net
女の人、微妙に甘いな

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:44.66 ID:JfBYntZ1.net
ごきげんよ〜∩(●ω●)

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:53:45.40 ID:D8qfsH8q.net
>>121
津軽は結構欧米人がいたから案外バレバレになるかとw

181 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:53:57.67 ID:9lXhHd9y.net
 いつか将来、インドの宗教に精通した聖書研究家があらわれて、キリスト教がインドの諸宗教と親縁
関係にあることをその特色をつうじて証明してくれるだろうという期待をさえいだいているわたしだ
が、さしあたって次のような点を注意しておこう。ヤコブの手紙(三の六)に見られる「生存の車輪」
(逐語的には「発生の輪」)という表現は、昔から「解釈者にとっての十字架」つまり難問のひとつだっ
た。ところが仏教では輪廻の車輪はきわめてありふれた概念である。アベル・レミュザの『仏国記』訳
二八頁には、「車輪は輪廻の象徴である。輪廻には円と同じように始めも終わりもないからである」と
書かれており、一七九頁には「車輪は仏教徒にはなじみの象徴である。その意味するところは、魂がさ
まざまな形をとる生存の円のなかで、次から次へと移ってゆくということである」と見える。二八二頁
には、仏陀自身が「真理を悟らぬ者は、車輪の回転によって、生と死におちいるであろう」と述べてい
る。われわれはビュルヌフの『仏教史序論』第一巻四三四頁に、次のような重要な個所を見いだす。
「彼は輪廻の車輪がどういう点にあるかを悟った。この車輪は動くと同時に動かないものであり、それ
には五つの目じるしがあるのである。彼は世人がこの世にはいって行くあらゆる道を破壊することによ
り、この道に対して勝利をおさめたのであった」と。スペンス・ハーディの『東洋の修道生活』(ロン
ドン、一八五〇年)六頁には次のように読まれる。「車輪の回転のように、そこには死と生誕の規則正
しい継起がある。その道徳的原因は物への執着であるが、それをひき起こす原因は業なのである」と。
同書一九三頁および二三三頁参照。また『プラボード・チャンドロー・ダヤ』(第四幕・第三場)には、
「無知は、この死すべき存在の車輪をまわしている情念の源泉である」と見える。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:54:03.73 ID:NjJiB89h.net
決論 朝日を読むとアカになる! 以上

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:54:08.23 ID:fgXLvdV9.net
アメさんは植民地争奪戦に出遅れて焦ってたもんな
スーパーのセールに出遅れて焦るオバハンよ

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:54:16.91 ID:a6fdI9Dy.net
>>149
最近はちょっとおかしくなってる模様

【話題】浜矩子「日本はヘイトスピーチ化している」「皆さんの国でアホノミクスという言葉を流行らせていただきたい」 [無断転載禁止]©2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1449404752/

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:54:18.22 ID:t1+GuYrV.net
白人暴動でかめはめ波追放しちゃうアメリカさんもたいがいだけど

186 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:54:19.35 ID:9lXhHd9y.net
継起する諸世界が不
断に生じては消えてゆくことについて、ビルマ原典によるビュナカンの仏教の説明(『アジア研究』第
肋間一八一頁)には、『世界の連続的破壊と再生は、大きな車輪に似ている。この車輪においては、わ
れわれは始めも終わりも認めることはできない」と言われている。(これより長い文章ではあるが、同
じ個所はサンジェルマーノの『ビルマ帝国解説』ローマ、一八三三年、七頁にもる。)

 グラウル専門語辞典によると、Hansa とは Saniassi の同義語である。――Johannes (これからドイ
ツ語では Hans がつくられる)という名前は Hansa という語(およびその砂漠における隠遁生活)と
奸計が或るのではあるまいか。――

 仏教が外面的に、たまたまキリスト教と類似しているひとつの点は、仏教がその発生地では優勢では
ないことで、つまりどちらも「予言者は自分の故郷では敬われないものだ」と言わざるをえないことだ。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:54:25.07 ID:4OClUH+p.net
最悪は日本の赤化だろうな

188 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:54:38.40 ID:9lXhHd9y.net
 キリスト教がインドのいろいろな教えと一致していることを説明するために、あらゆる推測をほしい
ままにするなら、エジプトへの逃避という福音書の覚え書の根底にはなにか史実があって、イエスがイ
ンド起源の宗教をもつエジプトの僧侶たちによって教育され、彼らからインド的倫理と降化の概念を受
けいれ、のちに故国に帰ってからこれをユダヤの教義に適合させ、古い幹に接木しようと努めたのだ、
と仮定できるかもしれない。イエスは、自分が道徳的にも知的にもすぐれているという気持ちに駆られ
て、ついに自分自身を一個の降化者と見るようになり、したがって自分を「人の子」とよび、ただの人
間以上の存在であることを暗示しようとしたのではあるまいか。一般に物それ自体としての意志には全
能の力があり、それはわれわれも動物磁気やこれに類する魔術的作用などから知っているところだが、
イエスもその意志が強固で純粋であったために、この全能の力によって、いわゆる奇蹟を行なうこと、
つまり意志の形而上学的感化を使って働きかけることができたのだとさえ考えられるであろう。この場
合にもやはりエジプトの僧侶たちの教育が役に立ったのであろう。そしてこうした奇蹟のかずかずを、
のちに伝説が拡大・増大したわけであろう。

というのは、本来の奇蹟というものは、どんな場合も、自然が自分自身にあたえる一種の否認であるは
ずだからだ。ところで、パウロの主要な手紙はなんといってもほんとうのものであるにちがいないが、
そのパウロがしばらくまえに死んだばかりの人を、したがってその同時代者がたくさんまだ生きている
という状況下で、どうして大まじめに受肉して人間となった神であり、世界創造者と同じものであると
説明できたかは、そういう前提のもとで、はじめていくらかのみこめるものになる。普通ならば、この
種の、またこの程度の、まじめに考えられた神化が徐々に熟してゆくには、何世紀もかかるはずだから
だ。しかし他方ではパウロの手紙一般の真正さに対する反証を、ここから引き出してくることもできよう。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:54:39.12 ID:vp99pgL4.net
酷いメンツでしたw

秦郁彦 現代史家
柴山哲也 ジャーナリスト
三浦瑠麗 東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:54:45.41 ID:YflUe0qA.net
今の感覚で何言ってもまったく意味が無い。

191 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:54:56.38 ID:9lXhHd9y.net
 一般にわれわれの福音書の根底には、なんらかの原典、あるいはすくなくともイエス自身の時代と環
境に由来する断片ぐらいはあったと思われる。わたしがこういうことを推定するのは、世界の終末がお
とずれて、主なる神が雲のなかに輝かしく再臨されるという、はなはだ不快な予言が行なわれており、
しかもそれは、この約束に立ち会った二、三の人びとがまだ生きているうちに実現するはずになってい
た点からなのだ。ところがこの約束がいつまでたっても果たされなかったことは、じつに困った事情
で、後世になって物議をかもしただけでなく、すでにパウロやペテロも困りぬいていたのだ。このこと
はライマールスのすぐれた著書『イエスとその使徒たちの目的について』第四二節から第四四節にかけ
て詳論されているところである。さてもし福音書が約百年もたってから、当時存した記録もなしに著作
されたとしたら、それが実現しないことが不快にもすでに明白になっていたこの種の予言を福音書のな
かにもちこまないような作者たちは気をつけただろうと推定されるのである。同様に、ライマールスが明
敏にも使徒たちの最初の体系と名づけているものにあたるあの個所を福音書に挿入することもなかった
であろう。この体系に従えば、イエスは彼ら使徒たちにとって、ただ俗世における一介のユダヤ人解放
者にすぎなかったのだ。

192 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:55:13.11 ID:9lXhHd9y.net
 こういう挿入がなされたというのも、福音書の起草者たちが、こうした個所をふくむ同時代のいろいろな
記録ををもとにして仕事をしたからだと思われるのだ。というのは、信者たちのあいだで口伝えにつたえら
れていた伝説でさえも、信仰に不都合をきたすようなことは落としてしまったと想定されるからだ。ついで
ながら、ライマールスが彼の仮設にとくに好都合な個所をいろいろ見落としているのは不可解だ。たとえば
ヨハネ一一の四八(この個所を一の五〇、六の一五と比較すること)、マタイ二七の二八ー三〇、ルカ二三
の一ー四、三七、三八、ヨハネ一九ー二二である。しかし、この仮説を真剣に妥当・貫徹させようと思うな
らば、次のような想定が必要となるだろう。すなわち、キリスト教の宗教的・道徳的内容は、ヒンドゥー教
や仏教の教義に精通したアレクサンドレイアのユダヤ人たちによってつくりあげられたのではないか、そこ
へひとりの政治的英雄が悲しい運命を背負って現われたので、もともと後世のメシアであったものを天上的
な救世主につくりかえることによって、これらの教義の結び目にされたという想定である。もちろんこの想
定は矛盾する点が非常に多い。しかし福音書の物語を解明するためにシュトラウスが提示した神話の原理は、
すくなくともその細部に対しては、たしかに正しい。それにしても、この原理がどこまで及ぶかをきめるこ
とは、むつかしいであろう。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:55:16.89 ID:XnR5yg2F.net
2Chみたいなこんなところで柴山叩きしてるやつミジメ杉

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:55:18.45 ID:4GjTcKZG.net
>>170
歴史は勝者が作る、もっと卑近な生活史レベルでも
本当はごく一握りのアーリーアダプターがデカい顔するし。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:55:21.53 ID:ZKixh7Jl.net
>>183
戦前戦中はゴリゴリの好戦論者だよ

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:55:37.24 ID:wlqMc5YP.net
>>183
だから中国を日本の領土にしたくなかったんだろうね

197 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:55:39.29 ID:9lXhHd9y.net
一般に神話的物語がどういう事情にあるかは、もう少し手近な疑義の少ない実
例について明らかにしなければならない。たとえば中世全般にわたって、フランスでもイギリスでも、アー
サー王はきわめて事蹟の多い、驚くべき人物ではあるが、輪郭ははっきりしており、いつも同じ性格をもっ
て、同一の従者を伴って登場する。王の円卓やそれを囲む騎士たち、王のかずかずの前代未聞の英雄的行為、
その風変わりな執事、その不貞な妃、妃の愛人ランスローなどといったお膳立てで、この王は何世紀もの詩
人たちや物語作者のおきまりの主題になっているが、これらの作者たちはすべて同じ性格をもったもろもろ
の同一人物を登場させており、事件の点でもかなり一致しているのである。ただ服装や習慣の点では、作者
自身のそのつどの時代に応じて、相互にひどく違っているだけの話だ。

 ところで数年前、フランスの内閣は、アーサー王の伝説の起源をしらべるために、ド・ラ・ヴィルマルク氏
をイギリスへ派遣した。そのときの結果は、伝説の根底にある事実については、次のようなことであった。す
なわち、六世紀の始め、ウェールズにアーサーという名の小領主がいて、侵入してきたサクソン人と根気よく
戦ったけれども、そのささいな事蹟は忘れられてしまった、というのである。してみると、この男が、どうし
てだかわからないが、幾世紀もつうじて無数の歌謡・物語詩・物語のうちに讃えられてきたあの輝かしい人物
になったわけなのだ。ヴィルマルケ著『古代ブルターニュの民話。アーサー王の円卓にまつわる叙事詩の起源
についての試論付』(二巻、一八四二年)を見られたい。この『アーサー王伝』では、アーサーは霧のなかの
人物のようにぼんやりとした遠くはるかな存在としてあらわれているが、それでも現実的な核心がないわけで
はない。――

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:55:48.55 ID:VpqNj1Zi.net
>>184
新しい飯のタネ見つけたんだね

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:55:58.05 ID:PzVqQsu7.net
オワタ…またねノシ

200 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:55:59.47 ID:9lXhHd9y.net
中世紀全体をつうじての英雄であるロランについても、事情はほとんど同じである。ロランも無
数の歌謡・叙事詩・物語で讃えられ、さらにロランの甲冑騎士柱像によって称揚され、ついにアリオストにま
でもその素材を提供して、この作品から変容して復活するようになったのである。ところでロランについては、
歴史はたった一回、たまたま、しかも三語をもって言及しているにすぎない。すなわち、アインハルトが彼ロ
ランをロンセスヴァリエスに滞在した名士のなかに「ブリテン王辺疆伯」(Britannici limitis praefectus)
たるロードランドゥスとして数えあげているのだ。そしてこれがわれわれのロランについて知っているすべて
であることは、ちょうどイエス・キリストについてほんとうにわれわれの知っていることが、タキトゥス
(『年代記』第一五巻・第四四章)の一個所につきるのと同様なのだ。別の例を示すものに、世界的に有名な
スペイン人シッドがある。

201 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/12/08(火) 21:56:11.30 ID:9lXhHd9y.net
多くの伝説や年代記、とりわけあの有名なすばらしい『ロマンツェーロ』におさめられている民謡、はて
はコルネイユの最上の悲劇までが彼を讃美しており、しかも主要事件については、とくに妻になったシメ
ーネのことではだいたいにおいて一致している。ところがわずかな歴史的資料が彼について伝えているこ
とは、彼はなるほど勇敢な騎士、すぐれた将軍ではあったが、非常に残酷・不実な性格の持ち主であり、
それどころか、ときによって仕える党派を変え、キリスト教徒に奉仕するよりもむしろサラセン人に味方
するほうが多かったような節操のない人物であり、それはまるで一介の傭兵隊長に類するが、シメーネの
ひとりと結婚している、といったこと以上に出ないのである。こうしたことの詳細は、はじめて正しい
典拠に行きついたと思われるドージの『スペイン史研究』(一八四九年)第一巻から知ることができる。
――イリアスの歴史的根拠ははたして何であろうか?――じっさい、こうした問題の実態につきあた
るには、ニュートンのりんごの逸話を念願におくがよいのだ。この話に根拠がないことについては、わ
たしはすでに第八六節で説明したとおりなのだが、それでも何千という本でくりかえされているところ
で、現にオイラーさえも、『皇女あての書簡』の第一巻で、麗々しく述べたてているのだ。――およそ歴
史的事実はたいせつにすべきものである以上、残念ながら現状に見られるように、われわれは大嘘つき
であってはなるまい。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:56:31.49 ID:ZKixh7Jl.net
日本人は、経緯論に弱いというのは勉強になった

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:56:32.75 ID:RxuucXvg.net
>>199
またね〜(´・ω・`)ノシ

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:56:38.20 ID:LNXTqGgc.net
幸ちゃんは病人なので大目に見てあげて下さい

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:56:41.73 ID:KswYv+fd.net
甘いなというか、局所的な視点だろうね
ハルノートを日本が受け入れたら、アメリカはヨーロッパ戦線に参戦できなくなるし、
ソ連は中国から軍を引いた全力の日本と対峙しなくてはならなくなるから、米ソが
ハルノート受け入れを認めるなんて有り得ないんだがw

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:56:42.51 ID:bAU5IcKx.net
>>180
例えば、本国→出先へ伝えるときはバリバリの琉球方言
出先→本国へ伝えるときはバリバリのアイヌ語。
出先A→出先Bへ伝えるときはバリバリの秋田弁
とかダメかな?w

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:56:57.81 ID:wlqMc5YP.net
>>190
天皇不執政論
昭和天皇は平和主義者

空論もいいとこだよな

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:57:09.06 ID:ko9wCFmR.net
ぶっちゃけ、柴山よりも三浦のほうがいらんと思うけどね
そうは思わないの

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